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第2回公開教養講話を開催 吉田悦之氏「『松阪の一夜』−賀茂真淵と本居宣長の出会い−」

吉田悦之氏


 平成25年6月22日(土)、モラロジー研究所廣池千九郎記念講堂にて第2回公開教養講話を開催しました。講師は本居宣長記念館館長の吉田悦之氏。30年以上本居宣長一筋に研究をしてきた方です。
 今年は『古事記伝』(『古事記』の解説書)を執筆した国学者・本居宣長と、その師である国学者・賀茂真淵の運命的な生涯1度の出会い「松阪の一夜」からちょうど250年目です。「松阪の一夜」に象徴される「人との出会いの素晴らしさ」、そして宣長の魅力について講演しました。
 今回はモラロジー生涯学習講座の受講者と一般参加者、あわせて124名が聴講しました。

運命の出会いを引き寄せたもの

 初めに吉田氏は、宣長が13歳から亡くなる2週間前まで書き続けた日記を紹介。自身の誕生や父母の人物像に始まり、本居家の家計の状態まで、日常生活を細やかに記録しています。宣長が著した全てのものに共通していることは、字に乱れがなく均一で、誤字や書き直しがほとんどなく、細部に至るまで入念に推敲されていることです。書を見ると、どんなことに対しても、怠ることなく真摯に向き合った宣長の人柄がよく表れていると言います。吉田氏は、「宣長の人生を俯瞰すると、運に恵まれ完璧なように見える。しかし、それは宣長自身が些細な事に対しても、倦まずたゆまず周到な準備をし、その上で『何とかなる』と早急に結果を求めず、500年、1000年先に自分の功績が理解されればいいと長い目で向き合ってきた結果だ」と述べました。  

 多くの書物を遺している宣長ですが、17歳の時には「大日本天下四海画図」(日本地図)という大作を描いています。日本の地形等の外観に興味があったわけではなく、日本とは何か、という国の内側に興味を持って行ったことでした。後に宣長は、日本独自の文化について研究を始め、国学者を志します。昼間は医者をして生計を立て、夜は国学の研究に力を注ぎました。 34歳の時、宣長は1度は会ってみたいと考えていた国学の大家・賀茂真淵と対面(松阪の一夜)。その後、宣長は真淵が亡くなるまで手紙を通して教えを請い続けました。そして、長い年月を経て、『古事記伝』を完成させます。  

 吉田氏は「『松阪の一夜』に象徴されるように、宣長という人物は人との出会いを通して自らが輝くと同時に、相手も同様に輝かせてきた」と熱く語りました。また、「このような恵まれた出会いや功績を遺せたのは、宣長の心の出発点に『おかげ』という感謝の念があるからではないか」と説明。続けて、「宣長の故郷・三重は真珠の名産地。真珠は1つでも輝きますが、連なったネックレスになると、より輝きが増します。皆さんも真珠のネックレスのように、出会ったことで互いがより輝き合えるような人との繋がり、『パールネットワーク』を作っていただきたい」と講演を締めくくりました。

  • 吉田悦之(よしだ よしゆき)


    昭和32(1957)年、三重県松阪市生まれ。昭和55(1980)年、國學院大學文学部卒業。公益財団法人鈴屋遺跡保存会・本居宣長記念館館長。著作に『2001年宣長探し』、主論文に「宣長と画賛」「本居宣長四十四歳自画自賛像を読む」「真淵と宣長−山辺御井問題・その後」「鈴屋衣を着る宣長」「山室山奥墓再見」などがある。また、『三重県地 名大辞典』『本居宣長辞典』『21世紀の本居宣長』などの項目を執筆。長年に渡る本居宣長研究に基づいた講演も多数行っている。

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